以下の記述は創作物です。 [ スピード☆キング ] 第一話 第二話 第三話 第四話 第五話 第六話 第七話 第八話 第九話 第十話 第十一話 第十二話 第十三話 第十四話 第十五話 第十六話 第十七話 18. ライトスタンドで黄色いメガホンを振りながら応援していた少年は、一粒の雨に額を叩かれ、空を見上げた。重く暗い空から外野照明に照らされた雨は足を速め次々と光って見える。江田島はプレートを外した。ユニフォームの腹で丹念に指を拭い、尻ポケットからロージンを取りだして入念にそれを指へ塗る。球場に、独特の風が吹く。『浜風』と呼ばれる風だ。 まずい。江田島はそう思った。降り出した雨と浜風のセットが自分にとって不利な風である、という理由で不安を感じたのではない。雨に濡れた体が風に吹かれ冷えるのを江田島は嫌った。肩を何度か軽くまわして再びプレートを踏む。コンパクトに構えた新田が江田島を睨みつけている。プレイが再開された。 勝負を急がなくては。自分に言い聞かせて江田島は構えた。江田島はセットポジションから足を上げる。膝位置は今までで一番高い。よく見とけ、アメリカにゃこれぐらいのスピードを投げる奴ぁごまんといる、だけどな、こんだけ気合いの入った直球は滅多にお目にかかれねえはずだ。当てれるもんなら当ててみろ。四球目を江田島は投げた。クイック・モーションから放たれた江田島の速球は外角低めいっぱいのストライクコースを通って、伸び上がる。新田は空振りした。タイミングは合っていた。ボール半分バットの軌道が下を通り、空を切る。電光掲示板の球速表示は百六十三キロだった。球場がどよめく。東京G軍のベンチから拍手が起きる。ベンチの先頭でタツ監督は手を叩きながら檄を飛ばしている。テレビカメラはアップで新田の表情を抜いた。その顔に悲壮感は全くなかった。いけるぞ、と新田は感じていた。打てない球ではない。次は絶対当たる。そのように新田は確信していた。 むしろ、追い込まれたのは江田島であった。雨足は少しずつ強くなり、江田島の全身を濡らしていく。そこに吹きつける風は容赦なく江田島を冷やしていった。状況は徐々にバッター有利へと傾いていくのが分かる。時間がない。江田島は焦った。時間がない。時間がない。江田島は第五球を内角高めへと投げ込む。江田島は祈った。頼む、空振りしてくれ!球の出足からホップの角度を計算した新田のスイングは、江田島渾身の一球をかろうじてチップした。ファウルだ。ネクストバッターズサークルから外れ、ベンチ前で雨を避けながらふたりの対決を見ていた次打者のロベルトは、素直に驚いていた。投げる方も投げる方だが、打つ奴も打つ奴だ。あんな速球を投げる奴なんかメジャーでも三人といないぞ。だけど新田も立派に食らいついていやがる。なんて野郎だ。高ぶった気持ちで、ロベルトは訛った日本語を使い叫んだ。新田!打て!その叫びを皮切りに大阪T軍のベンチは活気づいた。江田島へのヤジはひとつもなく、全ての叫びが新田へ向けられる。打て、放り込め新田、ここで決めろ!三塁コーチのサインを確認した新田が一瞬ベンチへ向き肯く。第六球、江田島は真ん中低めへ投げ込んだ。新田のスイングは最短軌道を通り球を右方向へ捉える。一塁線に飛んだ球はベース三十センチ右へ低いライナーとなって飛んだ。一塁手の番長が飛びついたがタイミングが合わず、打球はファウルとなった。 ネクストバッターのロベルトからタオルを受け取り入念に手とバットを拭きながら、新田はスコアボードの球速表示を目を向けた。スピードは百五十九キロと掲示されていた。そうか、今ぐらいの速さでだいたい百六十キロか。新田は冷静だった。その瞬間だった。江田島の背中が激しく軋んだ。やべえ、やっちまった。江田島の背中の古傷がとうとう痛み始めたのだ。三十年の眠りから覚めた江田島の左腕だったが、十球にも満たない全力投球でまた再び壊れ始めていた。仮に雨と浜風に打たれなかったとしても、あと数球で江田島の左腕は壊れていただろう。だが、あと数球あれば、江田島は新田を三振に打ち取っていたかもしれない。 江田島はバックを振り返る。野手全員に向かって江田島は叫んだ。頼むぞ!グローブで心臓を叩きながら江田島は叫んだ。野手は江田島に叫び返した。江田島を真似て、グローブで心臓を叩き叫ぶ。おれたちは負けない、の意志を込めて。一塁を守る番長は思わず泣き始めた。次が江田島さんの最後の一球だ。番長はそれに気がつき涙をこらえられなくなった。泣くんじゃねえよ。江田島は人差し指で目の下を拭う真似をして番長に笑いかけている。審判がプレイ再開を告げる。江田島はキャッチャーにサインを送る。キャッチャーの小倉はピクリと体を震わせた。 >ハリケーン、ですか? サインを確認する小倉に江田島は肯く。もう、ライジングファストボールは投げられない。だけどほかの球を投げても新田を抑える事が出来ない。だとすれば打つ手はひとつだ。ハリケーンを投げるしかない。 もともと、左腕を壊し速球が投げられなくなったために産み出したボールで、百四十キロそこそこの球で錯覚を利用して空振りを取るために編み出した「魔球」、それがハリケーンだった。江田島は右投げでしかハリケーンを投げた事がない。江田島はグローブの中でシュートボールの握りを作り縫い目に指をかける。投球動作に入った。腰を深く捻る。体全体が伸び上がり左腕が高く振り上げられた。 ストレートじゃない! 来る! 新田は直感した。来る!あの、ホップするように見える超高速ジャイロだ!降りしきる雨の中、人差し指に全身全霊を込めて、江田島は腕を振り切った。投げた瞬間、激痛が江田島の背中と左腕に走った。江田島の体内が一気に「冷めた」。痛みによって冷めたのではない。投げた刹那、ボールの行方がストライクゾーンに向かわない事を察知したからだ。 まずい!江田島はバランスを崩して倒れ込む。まずい!逃げろ、小僧!当たってしまう! 新田はステップしてボールを迎え撃とうとしていた。次の瞬間新田は首をすくめ顎を肩にしまい込み歯を食いしばっていた。 逃げられない! 当たる! ボールはきれいに曲がって新田のヘルメット前部を直撃した。 (つづく)
by dbw1969
| 2007-04-26 23:21
| 物語
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