【物語】 スピード☆キング (21)

 以下の記述は創作物です。

 [ スピード☆キング ]

 第一話 第二話 第三話 第四話 第五話 第六話 第七話  第八話
 第九話 第十話 第十一話 第十二話 第十三話 第十四話 第十五話 
 第十六話 第十七話 第十八話 第十九話 第二十話


 21.


 [ 青田 / ツアー最終戦 ]


 最終ホール、548ヤードPar5、残り300ヤード足らずの第二打を青田は6番アイアンで刻んだ。米国のシニア、いや「チャンピオンズ・ツアー」の最終戦、青田は何年振りかで最終日最終組をまわっていた。しかも、一打差で同組の首位を追っている。その、トップを走る選手がティーショットを曲げた時、青田は戦略を決めた。三打目が勝負だ。だから青田は、ティーショットを確実にフェアウェイに置き、トップの選手のトラブルショットがミスに終わったことをきっちり確認してから、二打目を打った。ウェッジで狙える位置をめがけて6番アイアンを打ち込む。青田はショットを終えた瞬間、しまった、と思った。久しぶりの優勝争いに力んでいたのか、体の回転と手首のリリースに微妙な狂いが生じたのが分かった。ボールは、狙った打ち出し方向より左に飛び出し、更に左に曲がる。本来、残り百三十~百四十ヤード付近の安全な位置に置くはずだったボールは、そこからもっと左にあるトラブルポイント、芝をかなり伸ばしたヘビー・ラフに入ってしまう。ギャラリーから溜息が漏れる。しかし青田は知っている。その溜息は本心からのものではない。日本人の青田は、いくら世界殿堂入りしたとはいえ、米国では基本的にヒール、悪役なのだ。彼等がほんとうに応援しているのはトップを走るアメリカ人選手である。シニア入りしたばかり、まだ「五十歳」の「若手」で、レギュラーツアー時代にはメジャータイトルも獲得した事がある有名選手だ。

 青田のショットを見てトップの選手は勝負に出た。浅いラフからの残り二百十ヤードをユーティリティークラブでショットする。もちろん彼はピンを狙っていた。十年ほど昔では考えにくい攻め方だ。クラブとボールの進化は、ゴルフのマネジメントを完全に変えた。ラフでも容易に振り抜ける長いクラブや飛んで止まるボールが次々と開発されたとき、少なくともプロのレベルでは、少々厳しい状況でも強気な攻め方を選択する事が増えたのは事実だ。そしてトップの選手が置かれた状況は、かなり計算が立つものであった。ピン方向に打てば、ボールはグリーンのどこかに乗るだろう。そう確信して打った彼のボールは、ピン左七メートルのところに止まった。観客は大歓声で彼を讃えた。そこからならば、かなりの確率でパー・セーブできる。ということは、青田はバーディーを狙うしかない。バーディーを獲ってようやくトップに並びプレー・オフへ進める、そういう状況に青田は陥った。

 青田は三打目の位置に立った。深いラフにボールが沈んでいる。だが、ボールはきちんと見える。脱出は容易だ。しかし、グリーンを狙うとなると話は別だった。深いラフからバンカー越えのショット。スピンをかけて球を止める事はほぼ不可能といっていい状況である。ピンチだ。
 青田のキャディー、シゲルが心配そうな顔をしてバッグを担いでいる。青田は順位のボードを確認した。トップと一打差は変わりない。しかし、ホールアウトした前の組のひとりが、イーグルを奪い、青田に一打差と迫っていた。ここでボギーを打てば、単独二位さえかなわなくなる。シゲルは青ざめていた。何故こんな大事な場面でこんなトラブルに襲われるんだろうとシゲルは思った。だが、青田はシゲルを見てニコニコ笑っている。シゲル、ゴルフってこんなもんなんだよな。最も重要な場面で、一番厳しい状況になる、そんなもんさ。シゲルは無理矢理笑った。「そうですね、そんなもんですね。青田さん、直接入れてくださいよ、あの時みたいに」

「あの時」とは、何十年か前、青田が初めて米国レギュラーツアーを制した時の事だ。一打差を追って最終ホール、トラブルショットを直接カップインしての逆転イーグル。今でも語りぐさとなっているあの試合の事だった。だが、全盛期だったあの頃と、今の青田では、肉体がまったく違う。激戦を戦い抜いてきた青田は六十を過ぎて体の不安をあちこちに抱えている。特に悪かったのは手首と腰だ。深いラフからのショットは、力業を使うと体への負担が大きい。だが、状況は、「極東のマジシャン」と異名を取る青田でさえ、技術だけではどうにかできるものではなかった。

 狙うか。

 青田が呟く。

 シゲル、ピッチングウェッジだ。

 シゲルが悲しそうにピッチングをバッグから抜いた。悲しさには訳があった。狙う、と呟いた青田の言葉は「裏腹」だった。ピッチングウェッジでは絶対にグリーンを捉えられない。その事がシゲルを悲しくさせた。優勝を諦めた青田の気持ちを思って、シゲルは苦しくなった。青田が素振りをする。打つ方向を確認している。青田はグリーンを向いていない。バンカー横の花道に、青田は狙いを定めた。シゲルの苦しそうな表情を見ると、青田はもう一度笑った。シゲル、まだ負けたわけじゃねえ、そんな顔すんなよ。青田は微笑みながらボールに近付きアドレスを取ろうとした。その時だった。刺すような視線が青田を捉えた。青田が視線の方へ向く。そこにいたのは、かつて帝王と呼ばれた男、ジャックだった。ジャックは数ヶ月前全てのツアーからの引退を表明していたが、ツアーの顧問としてその大会を視察しにやってきていた。

 ジャックと青田は、かつて米国ツアーで何度も死闘を繰り広げた。だが青田は同組で最終日最終組をまわる「直接対決」では、一度もジャックに勝つ事が出来なかった。しかしジャックは事ある毎に語ったものだ。

「もし、もし青田が、平均的なアメリカ人プロゴルファー並の筋力・肉体を持っていたとしたら、疑うことなくいえる、彼は間違いなく世界一の選手のはずなのだ。何度も賞金王となったわたしでさえ、技術では何一つ彼に勝てない。特にパッティングとバンカーショットにおいては、歴史上最高のプレイヤーだろう」

 けしてベタベタした友人関係ではなかったが、ふたりは仲が良かった。互いに尊敬しあっていた。ジャックは青田にバンカーショットの手ほどきを受けた事がある。青田は年に一度チャリティーオークションを企画しているのだが、それに一番協力的なプロゴルファーは、いつだってジャックだった。そんなジャックが、青田を睨み付けている。青田は瞬時にジャックがいいたい事を理解していた。


 (お前は、この状況から逃げるのか?)


 ジャックの目は語っていた。

 逃げるのか。この状況で優勝を狙わないのか。それでもプロのツアープレイヤーといえるのか。それがお前のゴルフか。お前の事は分かっている、お前の気持ちは痛いほど分かる。老化し、痛んだ体で緊張感を保つのは簡単じゃない。だからわたしは引退した。だけどお前は今、戦っているんだろう?戦う事を選んでこの場にいるんだろう?お前はほんとうにそれでいいのか。逃げる事を選ぶお前なんて、おれは絶対に、絶対に認めない。

 ジャックはそう念じて青田を見つめた。三十秒ほどジャックと見つめ合ったあと、青田はシゲルに命じた。シゲル、クラブ変えるよ。8番アイアンだ。一番高い弾道を打てるクラブ、それが8番アイアンだ。スピンでボールを止められないのなら、「高さ」で止めるしかない。ジャックと青田の「やりとり」を理解したシゲルは勢いよく8番アイアンを取り出す。青田はもう一度ジャックを見つめ、そして力強くうなずいた。ジャックがエールを送る。心臓を叩きながらジャックは青田に念じた。

 そうだ、その目だ。
 この状況を打破出来るたったひとつの武器、それは「ハート」だ。
 負けるな、自分を信じろ、ピンへ突っ込め!

 クラブを受け取った青田は、弾道をイメージした。フェイスを若干開いて芝ごと打ち抜く。素振りをしてから青田はすぐに構えショットした。迷うとスイングが緩む。打つだけだ。ボールの行方は、ボールに訊くしかねえやな。芝の抵抗に負けまいと覚悟して青田は打った。8番アイアンに刈られた芝が飛び散る。その飛び散った芝から抜け出すようにボールは高く舞い上がった。ゆっくりと、ゆっくりとボールは飛び、放物線の頂点を少し過ぎたところで完全にスピンが解けたそのボールは真下に落下を始める。観客から喝采が挙がった。

 ボールはグリーン、ピン奥三メートルに着弾し、二メートルほど転がって止まった。奇跡のショットだった。ジャックは青田を見つめ、何度も心臓を叩きながら目を潤ませている。青田がクラブをシゲルに手渡す。その時シゲルは青田の異変に気がついた。青田が痛みをこらえる時のクセを見抜いた。青田の右のくちびるが持ち上がっていたのだ。

 青田の左手首は、抵抗の強いラフからのショットに耐えられず故障してしまった。シゲルの驚いた顔に気がついた青田がささやく。黙って知らん振りをしてろ。グリーンに向かって歩きながら青田がギャラリーに手を振る。グリーン上で、トップの選手が、動揺した表情をして青田を待ちかまえていた。先にパットをするのはトップの選手だ。彼は安全にパットをした。カップ横五十センチの位置にボールは止まる。パーは確実だ。ラインを読んだ青田がボールをグリーンに置きマークを外す。まっすぐ三メートル、そこから左へ傾斜する二メートルのフックライン。バーディーを獲らなければプレー・オフは無い。曲がりを小さく読んで強めに打つ。迷いはなかった。青田は構えてすぐにパットした。ボールは青田の読み通り転がっていく。カップ手前一メートルのところまでボールが到達した時、バーディーを確信した青田は、パッティングの姿勢を保ったまま、パターを天に向かって高く掲げた。無言だったジャックが、その時大声で叫んだ。


 極東の魔術師に栄光あれ!そして神よ!

 この東洋の勇者に最後のチャンスを与えたまえ!



 ボールはど真ん中からカップに入った。絶叫がコースに響き渡る。プレー・オフだ。ズキズキと痛む左手首を少しかばいながら青田はシゲルに笑いかける。プレー・オフだ。勝つぞ。だから、しんどいだろうけど、もう少しだけ付き合ってくれよな。




 (つづく)
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# by dbw1969 | 2007-08-15 14:02 | 物語
【物語】 スピード☆キング (20)

 以下の記述は創作物です。

 [ スピード☆キング ]

 第一話 第二話 第三話 第四話 第五話 第六話 第七話  第八話
 第九話 第十話 第十一話 第十二話 第十三話 第十四話 第十五話 
 第十六話 第十七話 第十八話  第十九話


 20.


 [ 仲田 / W杯 ]


 もうとっくに試合は終わっていたが、仲田はピッチに横たわったままひたすら泣き続けていた。負けた相手のユニフォームを顔に掛けたまま、仲田はずっと泣いた。キャプテンの宮下を除き、ほかの日本代表選手達は、とっくにベンチへと引き上げていた。泣き続ける仲田のすぐそばで、宮下は仲田のように涙こそ流してはいなかったが、敗戦の悔しさを噛みしめながら、膝を抱えてずっと空を見上げていた。完膚無きまでに叩きのめされた後の空の青さは、「格別」だと思った。喉が渇いているはずだった。ビールでも飲み干せば最高の気分になれる、そんな天気だった。だけどふたりは、何も口にすることなく、ただひたすら黙ってピッチに残っていた。日本を叩きのめした相手国――南米のチームだ――の中心選手が三人、彼等をしばらくの間眺めていた。。彼等は当然、「ヨーロッパで戦う仲田」を知っていたが、国を背負って戦う彼と対戦するのは、A代表では初めてだった。彼等は、仲田に対し、まったく同じ事を思っていた。
 仲田が、あれだけの才能を持ちながら、「日本代表」のユニフォームを着なければならなかったということに、彼等は憐れみを感じていた。優れた頭脳と感性、視野の広さ、豊富な運動量、肉体の強さ、展開の読みの確かさ、どれをとっても一級品だが、いかんせん「あの国」の中においては、ほとんど機能しない。浮いている。羊の群れの中に一匹だけ猛獣がいても、何の意味もない。

 もったいないな。彼等のひとりがそう呟いた。ほかのふたりは黙ってうなずいた。

 日本代表の中でそのことをはっきり自覚していたのは、宮下だけだった。だから彼は、泣き続ける仲田のそばに居続けた。そばにいて、考え続けていた。自分はどうすれば良かったんだろう。自分に出来た最善のことは一体何だったんだろう。ほんとうは、宮下は分かっていた。おれたちは、仲田を除き、本気で勝とうとしていなかった。「いい試合」がしたかっただけだ。本気で勝ちに行くことをしなかった。ただそれだけのことだ。宮下は、それを認めたくはなかったが、受け入れるしかなかった。膝を抱えて考え続け、やっとそのことに納得した時、宮下は涙を流し始めた。涙は止まらなかった。仲田がユニフォームを顔から外し、彼の泣き顔はようやく晒された。衛星生放送で早朝、その姿が日本に配信された。仲田の泣き顔がアップで抜かれる。真っ赤な目からは止めどもなく涙が溢れ続けている。仲田は考えていた。

 どうしてこんなに涙が出るんだ。
 この涙の分だけ動けた、戦えたじゃないかよ。
 初めから分かってた。
 「十一分の一の責任」じゃ勝てないって分かってた。
 
 仲田は思い続けた。そしてその思いをひたすら噛みしめていた。

 どれだけ考えても、思っても、願っても、結果は変えられないんだ。そのことをやっと受け入れた仲田は、ようやく立ち上がった。宮下が続く。ふたりがゆっくりと晴天のピッチから去っていく。そして影になった通路にさしかかった時、仲田は、はっきりと口にした。

 無意味だった。

 何人かの記者がそれを記事にした。日本中がその後、そのひとことをネタに、徹底して仲田を叩いた。彼は全てを避けるようにして旅に出た。自分の味わった「無意味さ」から逃げるように彼は世界中を飛び回った。
 だが、彼の懸命な戦いは、全く意味をなさなかったわけではない。あの日、あの早い朝、何十万人という子供達が、彼の戦いと涙を見た。その子供達のうち、仲田の気持ちを分かろうとした何万人かはショックに打ちひしがれ涙を流した。仲田の無念を感じ取った何千人かは、悔しさで拳を握りしめた。そして、強力な相手に対し一歩も引かない仲田の、「最後のプレイ」を目に焼き付けた何百人かの子供達は、ボールを抱えて外に飛び出した。明けたばかりの朝、日本中に散らばる何百人もの子供達が、全速力でドリブルをしながら走っていく。その子供達は思っている。


 あそこが、あの舞台に立つ事だけが、ゴールではないんだ。


 何かを背負って戦う事の厳しさを仲田は無言で彼等に伝えたのだ。

 それは、けして無意味ではない。
 
 
 (つづく)
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# by dbw1969 | 2007-08-15 11:18 | 物語
【物語】 スピード☆キング (19)

 以下の記述は創作物です。

 [ スピード☆キング ]

 第一話 第二話 第三話 第四話 第五話 第六話 第七話  第八話
 第九話 第十話 第十一話 第十二話 第十三話 第十四話 第十五話 
 第十六話 第十七話 第十八話



 19.


 江田島が投げ込んだ渾身の一球、「ハリケーン」は、新田の頭を直撃した。新田は、やや前のめりに崩れ落ちていく。球場に悲鳴が響き渡る。まるでテロを目撃したかのように観客は騒ぎ始めた。ボールの勢いに飛ばされた新田のヘルメットは、球威によりマーク部分の表面塗装が完全に割れていた。投球後、バランスを崩して倒れ込んだ江田島は立ち上がらずそのままの姿勢で背中に雨を受け続けている。両軍のベンチから選手たちとコーチ陣、両監督が飛び出してきた。倒れ込んだ新田は体を痙攣させている。タンカや!T軍の監督、田岡が慌てた様子で叫んでいる。タンカや!急げ!救急車や!急いでくれ!

 その直後、体を震わせながら、新田が立ち上がった。新田は首を横に振り、眼球を小刻みに振るわせながら田岡に笑う。監督、当たってへん。デッドボールちゃうで。おれ、よけた。当たらんかった。担架なんかいらん。邪魔せんといてえな。まだ勝負の途中や。次の球は打つ。絶対打つ。大丈夫や、当たってへん。そこまでいうと新田はまた再びその場へ崩れ落ちた。

 解説席にいた布掛はヘッドフォンを外し、アナウンサーの制止を無視して、G軍のダッグアウトへと走った。明白な職場放棄だったが、布掛はかまわなかった。江田島の性格を知る布掛は、自分の悪い予感が外れるよう祈りながら、狭い通路を駆け抜けダッグアウトへ向かう。

 一塁に出塁していた鳥嶋が全速力でホームベースへ駆け寄ってきた。鳥嶋は倒れたままの新田を見つめた。震えたまま起きあがる事の出来ない新田を数秒見つめたあと、鳥嶋はくるりと向きを変え、マウンドへゆっくり歩み寄っていった。鳥嶋も軽く震えていた。言いようのない怒りで鳥嶋は震えながらマウンドに倒れ込んでいる江田島へと歩いていく。鳥嶋の表情は冷たかった。もともとクールで通っていた鳥嶋だったが、しかしこの時の鳥嶋は冷静ではなかった。凍りついたままの顔で、完全に逆上していたのだ。江田島の元で立ち止まると鳥嶋は言い放った。

 おい、おっさん。起きろよ。起きろ。いつまで寝てんだよ。さっさと起きろ。
 危険球だろ?だから退場だろ、あんたは?起きろ。それからとっとと失せろ。なあ。

 そう言い放つと鳥嶋は、倒れ込んだ江田島を数回足蹴にした。それに気がついた番長が慌てて駆け寄り、鳥嶋を羽交い締めにする。

 やめろ鳥嶋、わざとやない、わざとぶつけた訳じゃないんや!

 鳥嶋はもの凄い力で番長をふりほどき、今度は倒れ込んだ江田島の、ユニフォームの背中を掴んで起きあがらせ、後頭部を殴りつけた。よろめいて江田島は再びグラウンドへ倒れる。番長がもう一度鳥嶋を羽交い締めにする。やめろ、わざとやない!違うんや!番長は本当の事がいいたかった。(わざとやない!自分の息子の頭に故意にボールをぶつけるわけないやろう!)

 鳥嶋は体を捩ってもう一度番長をふりほどくと、冷たく呟いた。わざとかどうかなんて、どうでもいいんだよ。言い終わると鳥嶋は、番長の顔面に拳を打ち込んだ。番長が倒れる。それがきっかけだった。両軍の選手達がマウンドに集まり、乱闘が始まった。

 押し合いへし合いユニフォームを引っ張り合って小競り合いが続く中、三人の男達は極めて冷静に次のプレーの準備を進めていた。ひとりは、ライトの守備についている高山だ。

 ワンアウト満塁、タッチアップでサヨナラ、三塁ランナーは浜田、浅いフライでも突っ込んでくる。キャッチャー、小倉さんは守備位置の指示をうっかり忘れるかもしれない。おれがしっかりしないといけないんだ。おれが指示を出す。忘れるな、守備位置は定位置より浅め、送球は内野手がカット出来る高さに投げる。ワンバウンドの高さでいい。左右に逸らしてはいけない。基本的な事柄を何度も確認しながら高山は一旦ベンチに戻りシャツを着替え、冷え切らぬよう軽く体を動かしていた。

 ブルペンでモニターを見つめていた松原も冷静だった。次の出番は自分だとわかっていたからだ。G軍の控え投手の中で、この状況でマウンドに上がれるのはもう松原しかいなかった。ほんとうは乱闘に参加したかったが、松原は耐えた。今自分に出来る事は、松原は自らに言い聞かせた、今自分に出来る事は、どうやったらロベルトを打ち取る事が出来るか、考え抜きながら投球練習をする事だ。内野ゴロゲッツーがベスト、その次は内野フライか三振、外野フライはタッチアップがある。ヒットは全てダメだ。スクイズは無い。ロベルトはバントが得意ではない。小細工はしてこないはずだ……

 もうひとりの冷静な選手は次打者のロベルトだった。十歳になる息子を球場に呼んでいた。自分が打って優勝を決めるシーンを息子に見せたい。熱心にロベルトは配球を読んでいた。コントロールに難のある松原だと、落ちる球はあまり使えないだろう。パスボールでゲームが終わってしまう。ストライク先行で配球を組み立ててくる。初球からストライクを取りに来る。ストレートだ。それをどうにかして外野まで運ぶ。そうすれば、浜田の足なら絶対帰ってくる事が出来る。

 ……乱闘の輪の中から江田島を救出してベンチまで引っ張ってきたのは、タツ監督と番長だった。江田島を救い出そうとした時、タツ監督は数人の選手を殴り倒してしまっていた。退場の宣告が遠くに聞こえた。でもそんなことはどうでもよかった。とにかく江田島をそこから連れ出したかった。江田島は新田の頭に死球を与えたショックから完全に取り乱した状態となり、ひたすら泣き続けていた。ベンチに無理矢理江田島を座らせるとタツ監督は番長に、乱闘を制するよう指示した。「まだ試合は終わっていない。どっちのチームの奴でもいい、冷静な奴を捜して、乱闘を止めてくれ。あとの采配はヘッドコーチに任せる。おれは江田島さんを連れて行く」

 少し落ち着いた表情で番長が答えた。「わかりました。でも、江田島さんをどこへ?」

「わからない、ここじゃない、どこかだ」と幾分間の抜けた答えをタツ監督がした直後、番長が江田島を指さしながら大声を挙げた。泣きながら力無くベンチに座っていた江田島が、突然ガタガタと震え始め、さらに舌を思い切り伸ばして出し、噛みちぎろうとしていた。衝動的な自殺行為だった。それに気がついたタツ監督は江田島の頬を強く打った。

 体の震えがひどくて、結局江田島は舌をかみ切る事が出来なかった。番長がベンチに掛かっていた誰のものともわからぬタオルで江田島の口を縛る。そこに、布掛がやってきた。口を縛られた江田島を見て、布掛は番長に「やっちまったか?」と尋ねる。番長は横に首を振って「未遂です」と答えた。布掛は肯くと、江田島の右肩を担いだ。反射的にタツ監督が左肩を担ぐ。江田島はふたりに引きずられるようにベンチ裏の通路を歩く。

 縛られた口の中で江田島はずっと呟いた。恨むように。
 かつて自分のもとを去っていた新田の実母へ江田島は呟き続けた。
 何度も何度も江田島は呟き続けた。

 ゆり子、おれは息子の頭に、ボールをぶつけちまった。しかも全力投球で。
 畜生、畜生、殺してくれ、誰かおれを殺せ、殺してくれ。
 やっぱり神様はいなかった。
 何が野球だ。何が運命だ。こんな人生なんかいらない、殺せ。
 殺せ。誰かおれを殺してくれ。
 もう、生きていたくない――

 江田島は繰り返した。タツ監督と布掛は、追いすがる新聞記者やレポーターを蹴り飛ばしながら駐車場へ向かう。布掛の顔見知りの警備員に野次馬をシャットアウトさせた後、ようやく車にたどり着くと、ふたりはどうにか後部座席に江田島を乗せた。タツ監督が江田島を抱きしめる。布掛は愛車のジャガーを急発進させた。布掛も、タツ監督も、そこでようやく声を挙げて泣く事が出来た。

 こうして江田島は最後の試合を終えた。実働二十九年、通算登板数九百八十二、通算勝敗数二百十二勝七十四敗、通算セーブ数百八十六、通算ホールド数三百三十八、通算防御率2.98、最多勝二回、最優秀防御率三回、沢村賞一回、最多セーブ四回、MVP三回という記録を残して、江田島は、日本球界から消えていった。 

 数十分後、ようやく試合が再開された。鳥嶋とタツ監督、そして危険球を放った江田島を含め、総勢十一人が退場処分を受けた後での試合再開だ。T軍の監督は退場となった鳥嶋と病院に搬送された新田のかわりに代走を送らざるを得なかったが、退場者を含めるとそこで野手の交代要員が尽きてしまった。ロベルトが、急遽登板したリリーフ松原を打たなければ、つまりこのチャンスを生かし一気に試合を決めなければ、流れが変わり、逆にT軍が次回ピンチに陥る可能性があった。バントの苦手なロベルトに、意表をついてスクイズか。一瞬そう考えたが、田岡は動かなかった。ロベルトの読み、一振りに賭けた。投球練習を終えた松原が小倉のサインを確かめる。外角低めのストレート、ボールゾーン。セットポジションから投げ込まれた松原の速球は、少しだけ内側、ストライクゾーンへ入ってしまった。

 来た!

 ロベルトは迷わずバットを振った。ボールは高いフライとなってライトへ飛んでいく。ロベルトがボールを目で追いながら一塁へ走る。タッチアップは微妙かもしれない、とロベルトは思った。ライトの高山はそのままの守備位置で捕球出来ると判断したが、あえて数歩後ろへ下がる。前へステップしながら捕球し、その勢いを生かして本塁に返球するつもりだ。三塁ベースでは浜田がタッチアップの態勢を取っている。ボールがゆっくりと落下してきた。高山は前へステップをし捕球した。その瞬間浜田がスタートを切る。高山はもう二歩前にステップし、全力で本塁に向かって送球した。レーザービームのような送球が本塁めがけて飛んでいく。しかし送球の瞬間、高山は、分厚いゴムのようなもので殴られたかの衝撃を肘に感じた。高山の肘を支える腱がひとつ断裂してしまった。高山はそこで、引退まで苦しめられる故障をひとつ負ってしまったのだった。

 スタートを切った浜田は、小倉がブロック気味に本塁を死守しようとするのを見ても迷わなかった。体ごと本塁へ突っ込んでいく。タイミングは微妙だった。返球を受けた小倉と、果敢なスライディングを試みた浜田は激突する。頭がぶつかり合い、弾けるようにふたりは地面を転がった。ボールは小倉のミットからこぼれ、一塁方向へ転々としている。審判のコールがない。まだ、判定は決していない。アウトでもセーフでもなかった。ヘルメットを吹っ飛ばした浜田は脳震盪を起こしていたが、揺れる視界の中でホームベースを見つけ、そこへ手を伸ばした。小倉の脳も揺れていた。歪む視界の中で小倉は必死にボールを探したが、間に合わなかった。浜田は指先でベースを探し当て、それに触れた。審判の腕が横に広がる。セーフ。そしてゲームセットだ。リーグの雌雄を決する一戦はこうして終わった。だが、本塁ベース上で倒れ込んだ浜田は自力で起きあがる事が出来なかった。小倉と激突した際、首と肩を痛めてしまったのだ。胴上げにも匹敵するヒーローはインタビューを受けることなく病院送りとなり、残りわずかだったがシーズンを棒に振った。

 この大事な一戦に勝ったT軍は、残りのゲームをきっちりしのいでリーグ優勝し日本シリーズへと進んだ。だが、この大事なゲームを勝ち抜くために払った代償は、あまりに大きかった。最初の二試合、戦力を総動員しどうにか勝ちを拾ったが、それから力尽きたようにT軍は四連敗した。


 (つづく)
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# by dbw1969 | 2007-08-14 04:40 | 物語
【物語】 スピード☆キング (18)

 以下の記述は創作物です。

 [ スピード☆キング ]

 第一話 第二話 第三話 第四話 第五話 第六話 第七話  第八話
 第九話 第十話 第十一話 第十二話 第十三話 第十四話 第十五話 
 第十六話 第十七話

 18.

 ライトスタンドで黄色いメガホンを振りながら応援していた少年は、一粒の雨に額を叩かれ、空を見上げた。重く暗い空から外野照明に照らされた雨は足を速め次々と光って見える。江田島はプレートを外した。ユニフォームの腹で丹念に指を拭い、尻ポケットからロージンを取りだして入念にそれを指へ塗る。球場に、独特の風が吹く。『浜風』と呼ばれる風だ。

 まずい。江田島はそう思った。降り出した雨と浜風のセットが自分にとって不利な風である、という理由で不安を感じたのではない。雨に濡れた体が風に吹かれ冷えるのを江田島は嫌った。肩を何度か軽くまわして再びプレートを踏む。コンパクトに構えた新田が江田島を睨みつけている。プレイが再開された。

 勝負を急がなくては。自分に言い聞かせて江田島は構えた。江田島はセットポジションから足を上げる。膝位置は今までで一番高い。よく見とけ、アメリカにゃこれぐらいのスピードを投げる奴ぁごまんといる、だけどな、こんだけ気合いの入った直球は滅多にお目にかかれねえはずだ。当てれるもんなら当ててみろ。四球目を江田島は投げた。クイック・モーションから放たれた江田島の速球は外角低めいっぱいのストライクコースを通って、伸び上がる。新田は空振りした。タイミングは合っていた。ボール半分バットの軌道が下を通り、空を切る。電光掲示板の球速表示は百六十三キロだった。球場がどよめく。東京G軍のベンチから拍手が起きる。ベンチの先頭でタツ監督は手を叩きながら檄を飛ばしている。テレビカメラはアップで新田の表情を抜いた。その顔に悲壮感は全くなかった。いけるぞ、と新田は感じていた。打てない球ではない。次は絶対当たる。そのように新田は確信していた。

 むしろ、追い込まれたのは江田島であった。雨足は少しずつ強くなり、江田島の全身を濡らしていく。そこに吹きつける風は容赦なく江田島を冷やしていった。状況は徐々にバッター有利へと傾いていくのが分かる。時間がない。江田島は焦った。時間がない。時間がない。江田島は第五球を内角高めへと投げ込む。江田島は祈った。頼む、空振りしてくれ!球の出足からホップの角度を計算した新田のスイングは、江田島渾身の一球をかろうじてチップした。ファウルだ。ネクストバッターズサークルから外れ、ベンチ前で雨を避けながらふたりの対決を見ていた次打者のロベルトは、素直に驚いていた。投げる方も投げる方だが、打つ奴も打つ奴だ。あんな速球を投げる奴なんかメジャーでも三人といないぞ。だけど新田も立派に食らいついていやがる。なんて野郎だ。高ぶった気持ちで、ロベルトは訛った日本語を使い叫んだ。新田!打て!その叫びを皮切りに大阪T軍のベンチは活気づいた。江田島へのヤジはひとつもなく、全ての叫びが新田へ向けられる。打て、放り込め新田、ここで決めろ!三塁コーチのサインを確認した新田が一瞬ベンチへ向き肯く。第六球、江田島は真ん中低めへ投げ込んだ。新田のスイングは最短軌道を通り球を右方向へ捉える。一塁線に飛んだ球はベース三十センチ右へ低いライナーとなって飛んだ。一塁手の番長が飛びついたがタイミングが合わず、打球はファウルとなった。

 ネクストバッターのロベルトからタオルを受け取り入念に手とバットを拭きながら、新田はスコアボードの球速表示を目を向けた。スピードは百五十九キロと掲示されていた。そうか、今ぐらいの速さでだいたい百六十キロか。新田は冷静だった。その瞬間だった。江田島の背中が激しく軋んだ。やべえ、やっちまった。江田島の背中の古傷がとうとう痛み始めたのだ。三十年の眠りから覚めた江田島の左腕だったが、十球にも満たない全力投球でまた再び壊れ始めていた。仮に雨と浜風に打たれなかったとしても、あと数球で江田島の左腕は壊れていただろう。だが、あと数球あれば、江田島は新田を三振に打ち取っていたかもしれない。

 江田島はバックを振り返る。野手全員に向かって江田島は叫んだ。頼むぞ!グローブで心臓を叩きながら江田島は叫んだ。野手は江田島に叫び返した。江田島を真似て、グローブで心臓を叩き叫ぶ。おれたちは負けない、の意志を込めて。一塁を守る番長は思わず泣き始めた。次が江田島さんの最後の一球だ。番長はそれに気がつき涙をこらえられなくなった。泣くんじゃねえよ。江田島は人差し指で目の下を拭う真似をして番長に笑いかけている。審判がプレイ再開を告げる。江田島はキャッチャーにサインを送る。キャッチャーの小倉はピクリと体を震わせた。

>ハリケーン、ですか?

 サインを確認する小倉に江田島は肯く。もう、ライジングファストボールは投げられない。だけどほかの球を投げても新田を抑える事が出来ない。だとすれば打つ手はひとつだ。ハリケーンを投げるしかない。

 もともと、左腕を壊し速球が投げられなくなったために産み出したボールで、百四十キロそこそこの球で錯覚を利用して空振りを取るために編み出した「魔球」、それがハリケーンだった。江田島は右投げでしかハリケーンを投げた事がない。江田島はグローブの中でシュートボールの握りを作り縫い目に指をかける。投球動作に入った。腰を深く捻る。体全体が伸び上がり左腕が高く振り上げられた。

 ストレートじゃない!

 来る!

 新田は直感した。来る!あの、ホップするように見える超高速ジャイロだ!降りしきる雨の中、人差し指に全身全霊を込めて、江田島は腕を振り切った。投げた瞬間、激痛が江田島の背中と左腕に走った。江田島の体内が一気に「冷めた」。痛みによって冷めたのではない。投げた刹那、ボールの行方がストライクゾーンに向かわない事を察知したからだ。

 まずい!江田島はバランスを崩して倒れ込む。まずい!逃げろ、小僧!当たってしまう!

 新田はステップしてボールを迎え撃とうとしていた。次の瞬間新田は首をすくめ顎を肩にしまい込み歯を食いしばっていた。


 逃げられない!

 当たる!


 ボールはきれいに曲がって新田のヘルメット前部を直撃した。


 (つづく)




 
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# by dbw1969 | 2007-04-26 23:21 | 物語
【物語】 スピード☆キング (17)
 以下の記述は創作物です。

 [ スピード☆キング ]

 第一話 第二話 第三話 第四話 第五話 第六話 第七話  第八話
 第九話 第十話 第十一話 第十二話 第十三話 第十四話 第十五話 
 第十六話

 17.

 超満員のスタジアムは一瞬静まりかえった。観客は全て、スコアボードの球速表示を凝視した。電光掲示板の文字が黄色く光り、江田島の放った渾身の一球、その結果を浮かび上がらせている。

 161km/h

 ついに、公式戦で、日本人投手が時速百マイル超のスピードを記録した。

 三塁側内野席に小さくなって陣取っていた東京G軍の応援団は、割れんばかりの声援を江田島に送る。そして、驚いたことに、数では圧倒的に優位であった大阪T軍のファンたちも、手を叩いて江田島を賞賛した。それは、奇跡の一球を見せてくれた江田島に対する好意のレスポンスであった。ベンチに座っていたT軍とG軍の選手達は、立ち上がり、グラウンドへと身を乗り出している。

 マウンドの上で、江田島は、三十年間ほとんど使っていなかった左腕をしきりに振るっている。腕を、ムチの様に動かしていた。腕の動きは波うって、肩関節から肘、指先へとエネルギーを伝える。異常は感じられなかった。T軍のベンチからタイムが要求される。T軍の監督、田岡がバッターボックスへと歩いていく。バッターの新田は、ボックスを外し、ヘルメットを脱いでユニホームの肩口で汗を拭った。田岡がロージンを新田に手渡しながらささやく。「速いな。見えるか?」

 見えます、と新田はきっぱり答えた。

「ほんまかいな?あの球が見えるんか?」

 見えます、嘘ちゃいます、はっきり見えます。

「ほんまか。しゃあけどもな、合わせにいって当てられるか?メチャクチャホップして伸びとる球や、当てるだけやったら、フライになるんがオチとちゃうか?」

 そしたら、バントでもせえっちゅうんですか?

「いや、違う」田岡は新田の尻を叩く。「誰がそんなセコいことをせえ言うた。逆や。見えとるんやろ?せやったら、絶対合わせるな。思い切り振れ。空振りはしゃあない。けどもな、三振は考えるな。合わせにいったら江田島のおっさんの思う壺やぞ。勝負や。フルスイングや。振れ。打ち抜け」

 そのつもりです。速球一本に狙いを絞って振ります。

「それでええ」

 もし、変化球が来たら三振すると思います。

「大丈夫や。江田島のおっさんは、絶対速球しか投げへん」

 でしょうね。

「速球しか投げへんて。理由は分からんけど、とにかく覚悟決めとる顔しとるわ、あのおっさんは。それに、あのおっさんは、プロや。三十年近く、球を投げて飯食うてきたプロや。だから、分かってんねん」

 分かってる、とは?

「逃げたら打たれる。変化球投げたら、今のお前には勝てへん。おっさんは、それが分かってるから、わざわざ左投げに変身して、あんな速いボールを投げてんねや。だから、お前も絶対小細工すな。真っ向勝負や、振ってこい。お前なら打てる。絶対に打てる。自分を信じるんや。というより、あの球は、今のお前にしか打てへん」

 田岡と新田が話している間、G軍の内野陣は全員、靴ひもを締め直し、体が冷えないように屈伸や跳躍を繰り返した。キャッチャーの小倉が、ブロックサインを繰り返して江田島に確認している。

>ストレートだけで勝負ですね?

 江田島が力強く肯いて返事をする。もちろんそのつもりだ。

 田岡がベンチに下がり、新田が二三度素振りをして、また再び、バッターボックスへと戻ってきた。江田島は十八メートルと少し先にある新田を見つめる。自分の顔の面影が少しだけあると思った。体つきもどことなく似ていると思った。おれと、ゆり子を足して二で割ったらこうなるんだな。アンパイヤがプレイ再開を叫ぶ。江田島はプレートを踏みしめて、セットポジションから第三球めを投げ込む。引き絞った弓から放たれた矢のように、投げ込まれた硬球は、観るものの角膜に軌跡の残像を焼き付けるが如き唸りをあげ突き進む。新田のバットは、一瞬反応しかかったが、止まった。高い、外れる、振ったらあかん、ボールや。頭で考えるより先に、新田の肉体はいちはやく判断した。豪球を受けとめた小倉のミットは激しい破裂音を響かせる。審判がコールする。ボール。カウントは、ワンストライクツーボールとなった。

 よく止めたな。江田島が笑う。振ってたまるか。新田が笑い返す。見えるんだな?江田島が新田を指さす。ああもちろんや、はっきり見えてるで。新田が指を指し返す。そのやりとりに、観客がまた激しく沸きかえる。
 
  そのあとに、江田島は女の事を思い出した。かつて一緒に暮らした女、そしてある日突然姿を消した女、その女は、新田の産みの母親だった。ゆり子、新田は呟いた。ゆり子、おれ、息子と勝負してるよ。真剣勝負だ。予想はしていた。そうなるんじゃないかって予感はしてたんだ。今日、お互いのチームの優勝をかけた試合、今やってるのは、食うか食われるかの勝負だ。お互いに、絶対引けないところで戦ってる。運命ってのは、残酷だ。おれの人生の「すごろく」に、「引退直前、生き別れた息子と命がけの勝負をする」なんて目が残ってるなんてな。ひどい話だろう。血を分けた息子と殺しあう様に戦う。まったく、なんて悲惨な運命なんだろう。

 だけどな、江田島はまたセットポジションに構える。だけどなゆり子、それが人生だ、運命なんだ、野球選手なのに息子にバットの持ち方ひとつ教えてやれなかったおれだ、キャッチボールひとつしてやれなかったおれだ。悲しいよ。今になってやっと、息子と一緒に野球をやっている。引退前、盛りを過ぎてやっと、こうして息子と向かい合っている。ほんとに悲しい話だ。

 だけど、ほんのちょっぴり思うんだ、おれ、ちょっぴりだけど、幸せだ。最後の相手が、こいつでよかった。なあ、ゆり子、そうだろう?おれの最後の相手に、こいつ以上の奴はいないだろう?きっとそうだ。そしてこれこそが人生ってもんだ。もし、神様がほんとうにいるのなら、おれは感謝したい、この悲惨な運命を与えてくれて、おれは心から感謝してるって神様に言いたいよ。江田島は投球動作に入る。その時だった。

 夜空を覆っていた厚い雲から、細かい雨が落ち始めた。江田島は、まずい、と思った。



 (つづく)
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# by dbw1969 | 2006-03-06 22:21 | 物語
【物語】 スピード☆キング (16)
 以下の記述は創作物です。

 [ スピード☆キング ]

 第一話 第二話 第三話 第四話 第五話 第六話 第七話  第八話
 第九話 第十話 第十一話 第十二話 第十三話 第十四話 第十五話

 16.

 その時、テレビの視聴率は三十パーセントを超えた。セットポジションからクイックで第一球を投げようとする江田島の姿が映され、それからすぐに、画面は新田へとパンニングされる。新田は、明らかにホップの軌道を描いて飛んでくる江田島の投げた球を、微動だにもせず見送る。キャッチャーの小倉は、やっとの思いで捕球した。補球音は球の速度や切れに反して非常に鈍かった。ミットのポケットで取ることが出来なかったからだ。球は、キャッチャーミットの網にかろうじて受けとめられた。スコアボードの球速表示は、百五十六キロを掲示している。スタジアムは、地鳴りの様などよめきが起こり、揺れた。

 小倉の構えた位置より若干高めに浮いたその球を、審判はすぐにジャッジ出来なかった。一呼吸置いて、審判はコールした。ボール。すぐさま新田がタイムを要求し、ボックスを外す。球場内に溜息が漏れる。張りつめた空気は少しだけ緩んだ。テレビの中継席で、アナウンサーが解説の布掛に、あの、と何かを問いかけようとしたが、布掛は制した。

「この勝負だけは、黙って見ましょう」

 実況が仕事であるはずのアナウンサーは、布掛の真剣な口調に気圧され、思わず「わかりました」とだけ答えた。

 スタジアムの中に存在する全ての視線が、マウンドにいる江田島に注がれていた。金切り声を挙げて応援する、T軍のファンのそれさえも同じだった。彼等の思ったことは同じだった。

 これが、あの江田島の投球か?

 あれが、現役二十九年目、四十をとうに過ぎた投手の投げる球なのか?

 入団以来、変化球投手として確固たる地位を築き、今シーズンも七色の変化球を駆使して相手を「打ち取ってきた」あの江田島が、何故あんな球を投げているんだ?

 なにより、左投げであの様な豪速球を投げられるというのに、何故今まで江田島は右投げで変化球ばかり放っていたのだ?


 江田島は、そのような球場内の空気をほとんど感じていなかった。ただ、新田との勝負に全身全霊を込めるのみだった。マウンドでひとり確かめる様に、江田島は左腕を振るった。さらに、左肩をぐるぐる回し、左の背筋の具合を確認する。痛みは、どちらの部位にも、いまのところ無かった。江田島は、いける、と思った。もう少し速く腕を振っても、きっと大丈夫に違いない。ステップをもう少しだけ小さくしてみよう。そう考えながら、江田島はマウンドを足で均し始めた。タイムをとった新田はベンチに戻り、鳥嶋のバットを手にしてバッターボックスへとまた歩いていった。

 江田島の豪速球に対し、ヘッドを効かすためにグリップを細目に仕上げ、かつ重量の重い、パワーのある長距離打者タイプの自分用バットを使っては、「確実に振り遅れる」と、新田は判断した。対策はひとつしかなかった。グリップが太くツチノコに似た形状をし、且つ、かなり軽い、短距離打者向きな鳥嶋モデルのバットを使うしかなかった。軽く素振りをしながら、新田は塁上にいる鳥嶋に視線を送り、バットを借りると伝えた。鳥嶋は肯きながら、バットを寝かせて構えるフォームを作る。ミートだけに集中しろ、と鳥嶋は新田に伝えた。新田は肯き返した。分かってる。あのホップする球、当てるのだけで精一杯や。分かってる。

 バッターボックスに入る前、何度か新田は、コンパクトな構えから鋭く素振りをした。江田島は、マウンドの土を均し終える。新田がバッターボックスに入る。審判がプレイの再開を告げた。再びスタジアムに緊張感が漂った。そんな緊張感を、観衆は初めて経験した。普段は、メガホンや太鼓の音に合わせ、整ったリズムで声援を送っていたT軍のファン達だが、勝負が再開されると、先ほどと同じようにめいめい勝手な大声を挙げ、新田の名前を叫ぶことしかできなかった。

 新田は、マウンドにいる江田島を睨んでいる。

 絶対に打つ。
 おっさん、あんたを打ち崩して、おれはメジャーに行く。
 忘れ物はせえへん。

 江田島は、静かな佇まいでセットポジションに構えた。

 小僧、お前にだけは絶対打たせない。
 おれは、お前にだけは絶対打たれちゃいけないんだ。
 お前に負けることだけは、許されないんだよ。

 解説の布掛は、息が詰まる様な思いでこの対戦を見ていた。布掛は、かつての江田島の告白を思い出し、苦しそうに何度か息をした。三塁側ベンチで成り行きを見守る東京G軍のタツ監督、一塁を守る番長も同じように苦しく息をしていた。彼等三人だけが、本当のことを知っていた。この対戦に賭ける江田島の本当の思いを知っているのは、その三人だけであった。

 セットポジションから素早いモーションで第二球目を投げ込もうとしている江田島を見つめながら、布掛は膝に置いた両手を思わず握りしめた。

 江田島、がんばれ。お前は絶対に打たれてはいけない。
 江田島、負けるな。この勝負だけは絶対に勝たなくてはいけないんだ。

 江田島の過去と今の思いを知るタツ監督は、ふたりの対決を直視することが出来ず思わず下を向いた。タツ監督は心の中で繰り返していた。

 なんという運命なんだ。
 こんな勝負、見たくない。
 苦しい。逃げ出したい。

 一塁ベース際に立つ番長は、あらゆる打球に対応出来る構えを作ったまま、自分へと打球が飛んでくる可能性に恐怖を感じ、小刻みに震えていた。

 エラーだけはできない。
 絶対に出来ない。
 このふたりの対決を汚すことだけは、絶対に出来ない。

 江田島は、小倉のミットめがけ第二球を投げた。ボールは、テレビの画面上では糸をひくような残像を残した。ボールの軌道はやはりホップしながら、しかし今度は測った様に、球はきちんと小倉のミットに収まった。コンパクトな構えから鋭くスイングしたにもかかわらず、新田は完全に振り遅れた。審判はストライクと宣告しながら、江田島のその一球に、恐怖心を抱いた。この速球を頭に受けたら死ぬかもしれない、と審判は感じた。それほどまでに江田島の速球は、見るものに威力を与えていた。球速は百六十一キロを掲示する。スタジアムが、一瞬静まりかえった。タツ監督はようやく顔を上げた。目を背けてはならない。知ってしまった以上、見届けなくてはならないのだ。あのふたりの勝負が運命であるとするなら、見届けることぐらいしか、おれにはできない。あの人もきっとそれを望んでいる。タツ監督はそう思いながら、歯を食いしばった。

 負けるな、江田島さん。
 負けるな、江田島さん。絶対に負けてはいけない。
 父親は、わが子に、どんな理由があっても、絶対に負けてはならない。



 (つづく)
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# by dbw1969 | 2006-01-27 00:48 | 物語
テスト
http://db1.voiceblog.jp/data/dbw_/199445.mp3

↑テスト

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# by dbw1969 | 2006-01-16 20:48 | ケン一は語る
番組の途中ですが、また歌など歌ってみる
http://db1.voiceblog.jp/data/dbw/1136901328.mp3
お金、欲しい。それではまた。(この歌は管理者の気が向いた時に消えます。そういう呪文をかけました。
テクマクマヤコン)

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# by dbw1969 | 2006-01-10 23:10 | ケン一は語る
【物語】 スピード☆キング (15)

 以下の記述は創作物です。

 *

 [ スピード☆キング ]

 第一話 第二話 第三話 第四話 第五話 第六話 第七話  第八話
 第九話 第十話 第十一話 第十二話 第十三話 第十四話

 15.

 審判の判定はデッドボールだった。江田島が鳥嶋へと投げ込んだボールは、内角へクロスファイアー気味にぶっ飛んでいったが、それが鳥嶋のユニフォームの袖口をかすめた。彼はそのボールに反応出来ず、避けきれなかったのだった。帽子を取りながら慌てて江田島がマウンドを降り、鳥嶋に頭を下げる。大阪T軍の田岡監督、東京G軍のタツ監督、ともにホームベースへと走った。T軍のトレーナーが、鳥嶋のアンダーシャツをめくって、コールドスプレーをかける。ボールがかすめた箇所は太くミミズ腫れになっていた。田岡監督は「頭にでも当たってたら、えらいことになっとったな」と感じ身震いした。次の打者である新田が鳥嶋に話しかける。大丈夫か?鳥嶋は青ざめた顔で腕を振り答えた。「新田君、分かってるけど思うけど、江田島さんの球はジャイロじゃないよ。超高速のフォーシーム・ストレートだ。ホップしてる。錯覚じゃなくて、ほんとにホップしてる」

 そう言い残すと、鳥嶋はゆっくりと一塁に向かって歩き始めた。球場に拍手が鳴り響く。江田島はタツ監督に向かってささやく。タツ、最後のひとりの約束だったけど、まだ二球しか投げていない。だからもうひとり、いかせてくれるよな?タツ監督は、確認した。「鳥嶋への一球、故意のものではなかったですよね?」江田島が肯く。もちろんだ、わざとじゃない。

「じゃあ、やっぱり運命だな」

 タツ監督は江田島の尻を叩き、そう言い残してベンチへと引き下がった。笑っていた。アナウンスの後、新田がバッターボックスに入る。朝のスポーツ紙の予想通り、極めてドラマチックな場面が観客に用意された。九回裏同点、一打サヨナラの一死一二塁、バッターは今T軍で最も危険な打者、新田。迎え撃つのは、球界最古参の投手、百戦錬磨の江田島だ。冷たい秋風が吹いていたにもかかわらず、観客達は汗だくになっていた。球場で観戦する観客のみならず、テレビを観戦する視聴者、ラジオに耳を傾ける者、たくさんの人々が、スポーツ紙の解説者が書き残した記事の一節を思い浮かべた。この場面で江田島を打てるのはきっと新田しかいない。そして、進化した今の新田と五分の勝負が出来るのは、きっと江田島だけだ。

 江田島は、マウンドに戻り、深呼吸をひとつすると、バッターボックスで足場をならしている新田を見た。江田島の胸は痛んだ。これも運命か。イヤな言葉だな、運命なんて。だけど、これこそ「自分で蒔いた種」というやつか。しょうがない。

 初めて新田のプレイを見た時の事を、江田島は思い出した。内野ゴロを打った新田が、悪送球の間に二塁を狙ってベースを蹴ったその時、ベンチでそれを眺めていた江田島は思わず震えた。なんて美しい走り方なんだろう、と江田島は感じたのだった。速いだけではダメだし、綺麗なフォームというだけでは足りない。だけどこいつの走りはその二つを兼ね備えている。なんて美しい走りなんだろう。こんな選手がいたのか。この走り方を見ているだけで、こいつの野球人としてのセンスがすべて分かる。こいつは、おれと同じ筋肉を持っているに違いない。

 江田島は筋骨隆々とした肉体でありながら、腕立て伏せが苦手だった。また、力自慢が得意とする腕相撲などは極めて弱かった。筋肉が柔らかすぎて、パワーを持続する運動などは不得手としていたのだ。そのかわり、短距離走や跳躍運動は誰にも負けなかった。江田島のしなやかすぎる筋肉は、瞬発系の運動に適しているといえた。江田島は、新田の筋肉が自分と同じ質を持っていることに、早くから気がついていた。新田のプレイを見るたび江田島は感じた。本当はピッチャーが一番こいつに合っているポジションだ。もしおれが、こいつの少年時代に出会っていたら、絶対投手として育てる。こいつはきっと、おれと同じ球を投げることが出来る。

 *

 タツ監督はまた思い出していた。一球見送りの後、十球連続で空振りをした十三歳のタツ監督は、マウンドに立つ十五歳の江田島に向かい頭を下げた。これ以上バットを振っても、当たる気がしなかったからだ。だが、そのとき江田島はタツ監督をよく頑張った褒めた。たしかに、かすりもしなかったが、後半のほとんどの速球に対して、ちゃんとタイミングだけは合っていた。つまり、ある程度はボールが見えている。そこを江田島はきちんと分かっていたのだ。

 小僧、おれの球を受けるのは、おめえだ。全野球部員の前で江田島が宣言した。ところが、これが間違いの始まりだったのだ。新入生のタツ監督はその一言を素直に喜んだのだが、面白くないのは正捕手としてようやく背番号を得た部員だった。一年二年と辛い練習を続け、ようやく掴んだレギュラーの座を、なぜ新入生に奪われなければならないのか、そう思うと彼は我慢がならなくなった。彼はすぐさま、野球部の顧問に告げ口をした。江田島が勝手なことをしている、と。国語担当で、野球部を指導していたその教師は、もともと、江田島が嫌いだった。彼は熱血を売り物とした『根性原理主義者』で、スパルタな練習を部員に課すのが信条だった。だから腕立て伏せやウサギ跳びなど、根性をつける練習をさせようとしても、非科学的なトレーニングはしないとして拒否していた江田島を国語教師は忌み嫌い憎んですらいた。だが、飛び抜けた実力を持つ江田島だったから、国語教師は彼中心のチーム作らねばならなかった。それが面白くなかったのだ。

 国語教師は、江田島を呼び出し尋問した。「おれのいない間に、勝手なことをしているそうだな、江田島?お前、何様のつもりだ?誰に断ってチーム編成をしてるんだ?」

 おれは別に、チームを編成するなんて思っていないです。

「ちょっと球が速いからって」部室のテーブルに座って説教を続ける国語教師は、タバコを深く飲み込むと、向かいに座る江田島に煙を勢いよく吐きかける。「調子に乗るんじゃねえぞこの野郎。監督はこのおれだ。おれが全てを決める。たかが一介の部員ごときのおまえにレギュラーを決めさせてたまるか」

 少年の江田島はその一言で、この単なる地方公務員である国語教師の正体を見抜いてしまった。この男は、無能だ。その上おれの能力に嫉妬をしている。大人が子供に嫉妬する。なんて恐ろしい話だろうか。だけど、引くことは出来ない。おれの球を受けられるのは、タツしかいないんだ。江田島は意を決して話した。監督、お願いです、タツをレギュラーの捕手に据えて下さい。そうしたら、おれ、なんでもやりますから。

「……おい江田島、今お前『なんでもやる』って言ったな?」国語教師は、サディスティックな笑顔を浮かべ答えた。

 ほとんどの幼い才能は、無能で凡庸な大人の思惑により潰されてしまう。

 江田島の才能は、この無能な一教師により、まさに潰されようとしていた。

 *

 審判が、プレイの再開を告げる。球場全体が声援とヤジと怒号、拍手と応援歌と足踏みに揺れる。江田島は、セットポジションに構えた。十八・四四メートル先でバットを構える新田には、江田島が幾分緊張しているように見えた。珍しいやないか、おっさん。あんたでも緊張するんか?新田はひとつ震えた。緊張から来る震えではない。喜びのあまり、新田は震えた。子供の頃憧れてたおっさんとの、「最後の対戦」で、こんな勝負が出来るなんてな。ククク、最高やないかい!

 左投げになった江田島は、一塁ベースで牽制球に備える番長と向かい合わせになる。何年も同じ試合グラウンドに立ち続けたふたりだったが、こんな形で向かい合わせになるのはお互い初めてだった。江田島はプレートを外し、軽く一塁に牽制する。番長は江田島が緊張した表情をしていることに気がつき不安になる。その時だった。江田島さん、江田島さん、江田島さん。ライトを守る高山の声が、声援に遮られつつも微かに聞こえた。江田島はライトを見た。高山が、グローブで心臓を叩き笑っている。江田島の緊張を見抜いた高山は、ハートだ!と江田島に伝えたかった。それはかつて、江田島が、松原に教えた様に、高山へと贈った一言だった。六大学のスター選手だった高山は入団後すぐにレギュラーを獲ったが、守備はさておきバッターとしてなかなか思う様な活躍が出来なかった。コーチ達はよってたかってあれこれと高山に助言をするのだが、高山は混乱するばかりで本来の力を発揮出来ないでいた。それを救ったのが江田島だった。

 高山。外角球は、流すな。外角こそ、引っ張るんでヤンスよ。

 そのたった「一行」で高山は全てが分かった。外角を叩くには、内角以上にリードする腕を強く引っ張る「意識」が必要になる。プロに入って、結果を残そうとするあまり高山はタイミングの取り方ばかり気にしていた。あえてそこだけを江田島は注意したのだった。江田島は投手であったが、本来、打撃にも非凡なものがあった。事実高山はその一言であっさり才能を開花させた。いや、正確に言うと、もう少しだけ、江田島は付け加えた。

 高山、どんなピッチャーに対しても、打てないなんて思うな。
 絶対に打てると思って立ち向かうのでヤンス。それが基本だ。

 心臓を叩きながら江田島がそういったのを高山は教えたかった。江田島は高山に向かい、同じ仕草で答えた。心臓を叩きながら江田島は呟く。絶対に打たせない。再び江田島はセットポジションに構えた。睨みつけてくるバッターの新田、キャッチングに幾ばくかの不安を抱えながらを絶対にボールを落とすまいと決意するキャッチャーの小倉、そこに向かって、江田島はクイックで投げ込もうとしている。「運命」の一打席がついに始まった。


 (つづく)
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# by dbw1969 | 2005-12-04 21:56 | 物語
【物語】 スピード☆キング (14)

 以下の記述は創作物です。

 *

 [ スピード☆キング ]

 第一話 第二話 第三話 第四話 第五話 第六話 第七話  第八話
 第九話 第十話 第十一話 第十二話 第十三話

 14.

 *

“ おめえか、リトルのMVPっていうのは?入れ、バッターボックスに。ちょっくらもんでやる ”

 中学の野球部に入部したばかりのタツ監督はあの日、初めて江田島と対戦した。フリーバッティングの練習中、素振りをしながらそれを眺めていたタツ監督だったが、江田島が指名して、ふたりの対戦が叶った。

“ いいか小僧。おれは、絶対に打たせない。かすりもさせない。打てるもんなら打ってみろ。当てれるもんなら当ててみやがれ。もし、ほんとにかすりでもしたら、そうだな、練習が終わったら、ラーメンでも奢ってやる。だから本気でかかってこい。いいか?じゃあ、いくぞ ”

 まだ幼い体をした十三歳当時のタツ監督は、喜びに震えていた。彼はその一年前、十二歳の時、リトルリーグの世界大会を制したチームに捕手として所属していたのだが、同じチームのシニアへと進まなかった。理由はたったひとつだ。軟式の中学野球に突如現れた噂の剛球投手、江田島の存在があったからだ。少年のころのタツ監督は、なんどもその中学に足を運び、練習を見学していた。江田島の投球は噂通りだった。なにしろ、確実に捕球出来るキャッチャーが存在しなかったほど、江田島の球は速く、キレがあった。タツ監督は、江田島に憧れを持った。キャッチャーとして、この人の球を受けてみたい、と思った。シニアリーグに進めば、硬式野球を続けることが出来る。だけど、軟式に留まってでも、この人のボールを受けてみたい。そう思わせるだけの球を江田島は投げていた。

“ 本気で行くぞ。全球ストライクゾーンだ ” と宣告した江田島にしても、噂のMVP選手であるタツ監督の入部が嬉しかった。やっと、自分の本気の球を受けてくれそうな捕手が現れたのだ。幼い頃から続けていた、地道なトレーニングが実を結び、中学二年の夏過ぎあたりから急激に球速を増した江田島のボールを受けることの出来る部員が、その中学の野球部にはいなかった。中学二年の時、秋の県大会予選で先発した江田島は、あっけなく敗北したのだが、その時の自責点はなんとゼロだった。パスボール、振り逃げ、その繰り返しで江田島は敗戦投手になったのだ。ノーヒットノーランで、江田島は負け投手になったのである。だから江田島は期待を込めてタツ監督を打たせることにした。自分の球を打てなくとも良い。どこまでついてくることができるか、その反応を見たいんだ。スピードに対する反応を確かめてやる。

 全ての野球部員が見守る中、キャッチャーなしの状態で、バックネット代わりに建てられたブロック塀に向かって、十五歳の江田島が投げた。その一球目、十三歳のタツ監督は、スイングをする事が出来なかった。たしかにボールはべらぼうに速かった、だけど手が出なかった理由はそれだけではない。今まで見たことのないボールが、十八・四四メートル先からぶっ飛んできたからだ。リトルとはいえ、世界大会で、各国代表の速球投手と対戦してきた少年時代のタツ監督だったが、そんなボールを今まで見たことがなかった。

“ どうした、小僧?振らなきゃ当たんねえぞ ” ブロック塀に当たり跳ね返ったボールを少し前進して捕球しながら江田島が笑う。江田島は上機嫌だった。いい見送り方だ。こいつのセンスはすごいものがある。合格だ。おれの球を受けるのはこいつしかいない。江田島はタツ監督を一球で認めた。二球目を投げる。タツ監督は空振りした。“ ほう…… ”と、江田島が溜息をつく。タツ監督のスイングはシャープで速かった。軟式野球の打ち方ではなかった。脇をたたみ、バットではなく肘からボールに向かう様な、『インサイド・ストレート・インサイド』のバット軌道。

“ おめえ、硬式をかじってたのかい? ”

「江田島先輩、リトルは硬式ですよ」

“ ふん、生意気な。じゃあ、三球目いくぞ ”

 そんなやりとりも、タツ監督は覚えている。夢の様な時間だった。

 * 

 ……タツ、覚えているだろう、あのころの、おれの球を投げるぞ。左投げの江田島が、セットポジションから、右膝を高く上げ、投球動作に入っていく。クイック気味のモーションは流れる様に美しかった。背筋が伸び、頭は少し俯き加減で、けれど体のどの部分もまったく停止しない、澱みの無い動きだった。ステップは小さい。バッターボックスの鳥嶋は、その一球目、思わず体をのけぞらせた。ネクストバッターズサークルにいた新田は目を丸くして息を飲み電光掲示板の球速表示を確かめる。百五十六キロ。球場にどよめきが起きる。アナウンサーが解説の布掛にコメントを求めるが、彼は答えることが出来ず口を開いてぽかんとしていた。

 江田島が内角へと投げ込んだ球は明らかにホップして、キャッチャーの小倉は思わず球を弾き後逸しそうになった。小倉は、審判にタイムを要求し、ボールを交換してからミットを外し、痺れたのだろうか、しきりに手を振っている。球を受け取った江田島は、タツ監督の方を見て微笑む。見てるか?タツ。タツ監督は力強く肯き返す。江田島は次に、新田の方を見て笑った。見たか小僧。一瞬とまどいの表情を浮かべた新田は、すぐに笑いかける江田島を睨み返した。おっさん、調子に乗るなよ。絶対に打ち返したるからな。

 そうだ、その目だ。江田島は嬉しさに微笑み、再びセットポジションに構え、投球動作に入る。バッターボックスの鳥嶋は、コンパクトな構えで球を待ちかまえている。江田島はまた右膝を高く上げ、思う。小僧、この球をよく見ておけ。この球は、魔球ハリケーンではない。おれの、ほんとうの決め技だ。目ン玉に力を入れて、しっかり見てろ。江田島は腕を振り下ろす。指から弾かれたボールは唸りをあげてホームベースに向かいホップしていく。これが……、投球モーションが完了した江田島は念を込めた。

 これが、ニューヨーク・メッツのトム・シーバーが、フィラデルフィア・フィリーズのカート・シリングが、ヒューストン・アストロズのビリー・ワグナーが、阪急ブレーブスの山口高志が、東映フライヤーズの森安敏明が、江田島は心の中で念じ続ける。そして、これこそが作新学院の江川卓が投げたボールだ、究極のストレート、即ち究極の変化球、ライジング・ファスト・ボール。

 剛球が唸りをあげ回転し、グンとホップして伸びる。
 バッターの鳥嶋は反射的にのけぞった。


 (つづく)
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# by dbw1969 | 2005-11-29 00:33 | 物語


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